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窓の外の景色 [家族]

2017090501.jpg
(FUJIFILM X-Pro2 / FUJINON XF 23mm f1.4 R / adobe Photoshop Lightroom CC)






写真好きなら、いや、そうでない人でもご存知の写真家、荒木経惟氏。

氏の代表作の一つ「センチメンタルな旅・冬の旅」。
そして、この写真集で有名なのが氏の愛妻陽子さんの死と棺に横たわる陽子さんの写真である。
発表当時は賛否両論、喧々諤々の論評、論争であったようでやはり写真家の篠山紀信氏との対談、
その後に絶交があったこともつとに有名な話である。

自分で言うのもなんだが、私の傍らにはトイレと入浴以外ほぼ常時カメラがある。
いつでも何かを見、感じ、それを写真として残そうとするならシャッターを切ることができる。
初めて件の写真集を観た時に、愛する者が死に瀕した時、荒木氏のように写真を撮ることができるか、
いや、撮ろうとするか想像したことがあるが答えは出なかった。


8月の初めに入院した父がその月末に死の淵に立った。

様態が悪化してからはほぼ毎日顔を見に行くが、写真を撮る、と言う雰囲気など無い。
病院に行く時にもいつもと変わらず私の鞄の中にはカメラがあるが、取り出そうとは思わなかった。
窓はあるが外の景色の見えない集中管理病棟から、ベッドから外の景色の見える一般病棟に移った日、
午後から一時病室内に父と二人きりになった。
ベッドの傍らに座り、そこに寝ている父を見ても写真を撮ろうなどとは思わなかった。
と言うよりも、鞄の中にカメラがあることが思考の中には無かった。
そして、徐々にバイタルサインの下がり始めた父の傍らで窓の外の景色を見た時、初めてその光景を
撮ろうと思った。

何の変哲もない、病室の窓から見える景色を。


愛するが故に撮れるのか、撮ろうとするのか。
愛するが故に撮れないのか、撮ろうとしないのか。


その二択の答えを「センチメンタルな旅・冬の旅」を観て以降考えることがあったが、そのどちらで
もない、答えがあったのだ。
上手く言葉に、文字に出来ないがそう単純に割り切れないコトが。


一時自宅に帰っていた母と、県外に嫁いでいた妹が戻ってくるのを待っていたかのように、その後、
窓から差し込む明るい陽光に包まれて父は旅立った。
どんなことを考えるのか、感じるのか色々と思うこともあったが、我ながら覚悟をしていたのか意外
と落ち着いたものだった。
本当は言いたいこともたくさんあったのかもしれないが、喪主として、息子として最後に棺を見送っ
た時、頭のなかに浮かんだ言葉は「ありがとう。」それだけだった。



そんな日々から少しづつ元の落ち着きを取り戻しながら、今最終カットとなっているこの写真の次の
写真、いつもの自分の写真を撮れる時も間近に来ていることを感じている。







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コメント 2

JUNKO

しばらくアップがなかったのでどうしたのかと思っていました。写真だけを見てこれは病室の窓だからの写真だとわかりました。点滴の棒がありましたから。同じ気持ちの体験があるのでよくわかります。私の場合は母でした。死の直前母の目から流れた一粒の真珠。写真を撮りたいと思いながらできませんでした。その後荒木氏の写真を知りました。未だにあの1枚は撮るべきだったのか答えは分かりません。ご冥福を心よりお祈りいたします。

by JUNKO (2017-09-05 22:54) 

icarus

>JUNKOさん
ありがとうございます。
日々の忙しさの中で徐々にいつもの生活に戻っています。
by icarus (2017-09-14 22:32) 

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