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1990 -WestBerlin- [1990 Europa]

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(MINOLTA α7700i / AF ZOOM 35-105mm f3.5-4.5 / RHP / EPSON GT-X970)






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アムステルダムの駅で、西ドイツと東ドイツ国境の街ヘルムシュタット-西ベルリン間の
列車のチケットを買い、19:30頃発の夜行列車で西ベルリンへ向かう。

ヨーロッパの鉄道はユーレイルパスというフリーチケットを使えば、どこに行くにも乗り
降り自由であった。
しかし、当時ドイツはまだ西と東に分かれていた。
東ドイツ領内ではユーレイルパスは効力を持たなかったので、その間のチケットが必要で
あった。
そして私は、このユーレイルパスが元で危うく第二の失敗をやらかすところであった。

先に書いたようにこのパスがあれば、どの列車にどこで乗ってどこで降りようが概ね自由
である。(私の用意したパスは一等車もOKであった。)
なので車内検札(当時のヨーロッパで改札口があるのはイギリスぐらいであった。)の時
にパスを見せればOKなのである。
フリーパスなので券面に乗車区間などは書かれていない。
そして、ヨーロッパの長距離列車は出発時に長大な編成で出発し、途中で分裂しながらそ
れぞれの目的地に向かうものがある。私の乗ったアムステルダム発西ベルリン行きがそれ
にあたった。
列車が出発してしばらくすると車内検札がやってくる。
その時車掌さんが私にどこに行くのか?と尋ねた。
私が西ベルリンに行くと答えると、車掌さんはこの車両はベルリンには行かない、ベルリン
行きはもっと後ろの車両だと教えてくれたのである。
危うく夜が明けて目が覚めると全く予定のないどこかの街に連れて行かれるところであった。
これを教訓に、これ以降パスを使うときには行き先を書いたメモを一緒に見せるようにした。
発音には全く自信がないので書いて見せるのが一番確かなのである。(笑)


私が用意したパスは、有効期間1ヶ月(最初に利用する駅で日付を入れてもらう)、一等車
にも乗車可能なもので520ドルであった。
1990年初頭の平均レートが145円ほどのようなので、75,400円である。
これで列車に乗り放題、コンパートメントを使えば夜行ならホテル代わりにもなる優れもの
であった。


因みに、メモによると約90円/1西ドイツマルクとある。







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KOME

ベルリンの壁を壊した翌年でしょうか?
by KOME (2019-02-16 22:48) 

JUNKO

あわやのところで危機を免れましたね。今となってはいい思い出でしょう。
by JUNKO (2019-02-16 23:01) 

engrid

陸続きで国が隣り合わせだから、乗り降り自由、とても嬉しいフリーパスですね、
でも 危ういことも、それも冷や汗ものの思い出ですね
by engrid (2019-02-17 00:31) 

icarus

>KOMEさん
みんなが壁を叩いていた時期です。
by icarus (2019-02-17 21:06) 

icarus

>JUNKOさん
気の利く車掌さんのおかげでした。(笑)
by icarus (2019-02-17 21:06) 

icarus

>engridさん
危うい冷や汗ものの思い出ばかりです。(笑)
by icarus (2019-02-17 21:09) 

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